「Iの肖像」終わりに寄せて

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このたびは、個展「Iの肖像」にお越しいただき、また心を寄せていただきありがとうございました。

このブログを書くのに、色々思いがありすぎて中々まとまりませんでした。数日にわけて悩みながら綴っています。

大変厳しい状況下でしたが、無事終わったことに安堵しています。

以下、今回の個展に至るまでの色々を連ねようと思います。

今年一年は、仕事の価値について考える日々でした。

イベントが無くなったり、取り扱い店舗が長期休業になったり……私はこの仕事で毎日とそれ以降を生きているのに、仕方ないことだけど「不要不急」な営業活動ということになってしまった。それに伴い、売上もかなりさがり、未だ回復は厳しいです。正直に言えば。
一連の色々から、まるで、私の生きてきた道が不要なものだと言われてしまった気がして、虚しくて仕方がありませんでした。今もその感情は続いています。普段はヘラヘラ推しのこと話していますが、時々現実のことを忘れてしまわなければ、立つのも時々辛いです。泣きたいけれど、誰のせいでもないので余計悲しい。

私のかたち、肖像がぼやけていく。分からなくなってしまいました。私が私の価値が分からなくなれば、輪郭線だって分からなくなる。それは当たり前なことかもしれません。(こういった感覚は、案外たくさんの方が感じられたことかもと思います。今年は特に。)

そんな日々の先にあった今回の個展でした。いつも決めていることの通りにいかないならば、創作の場だけでも自由に思うままに一回くらいしてみようと思い「Iの肖像」の世界を作り上げました。

表現すること、美しいものでお腹は膨れないし、誰かの命を救えもしない。命をつなげない仕事なら今年か来年くらいで畳んでしまおうとも締め切り前はたくさん考えました。畳んだ後は、自分の人生をどうやってケリをつけようかなとかもぐるぐると巡りました。余りお話しないことですが、私は15歳くらいの時に終われなかったときから、その後の人生はただのおまけだとも常思うし、生きている意味を見出せるのが唯一作ることな現状、作らない私に私自身が興味を持っていられるかしら?とも思うので、だから、いよいよおまけの終わりを考えるときか……と真剣に考えました。

でも真っさらな個展会場を見ると不思議と暖かな気持ちになり、美しいものをもとめることは、究極にわがままで人間らしい行為なのかもしれないなぁと、搬入日に作品を一つずつ並べながら思えました。久しぶりに身体が生きているみたいにあたたかくなりました。
ただ、体を生かすために日々を生きるのは、動物的でシンプルかつ必要なことだけれども、毎日生きていく中で、沢山の価値観や感情を重ねていく。それが地層になって財産になるのは生き物は結局は人だけ。そういった営みの一部で居続けたいなと終わった年の瀬の今日の日に思えます。

あなたもわたしも、色々辛抱強く一生懸命生きている。だから、少しだけでもご褒美があったって罰は当たらない。そんなことを考えながら取り組んだ数日間の空間はいかがでしたでしょうか。また、お話を自由な場所で気軽にできる日がきたら、どこかでこっそり教えて下さい。

本当にありがとうございました。

来年もよろしくお願いいたします。

お客様、店主の西田様、作家仲間、家族、友人、関わる全ての皆様。

ありふれた言い方ですが、愛を込めて。

『ななついろ洋品店』